1703年、京都。仇討ちに燃える赤穂浪士たちの士気が高まる一方で、筆頭・大石内蔵助は焦っていた。47名という人数でもって吉良上野介を討つためには、なんとしてもこの士気を失わせたくはなかった。

 しかし、討ち入りには最大の関門があった。それは、仇である吉良邸の警備の厳重さである。吉良は当時「高家」という、最高の権威にあった。江戸幕府に特別に取り立てられていた吉良家は、数々の大名の中でも珍しく、屋敷が江戸城郭内にあったのである。
こうして仇討ちは果たされました。しかし、なにか不思議に思いませんか?あまりにも事がうまく行きすぎているのです。

 なぜ、吉良邸は絶妙なタイミングで、わざわざ江戸城郭内から移転したのでしょうか?吉良邸が移った先の本所はまさに「さあ討ち入ってくれ」と言わんばかりの立地です。これは、歴史学者にとって最大の謎でした。

実は、「忠臣蔵」の物語には、赤穂浪士の討ち入りを操った、ある黒幕がいたのです・・・

竹村公太郎の地勢歴史学講座
地形で読み解く日本史の謎

「忠臣蔵」に隠された不可解な謎

"日本人が素晴らしいのではない、
地形が日本人をそうさせたのだ"

1970年、東北大学工学部土木工学科修士課程修了後、建設省(現国土交通省)に入省。以来、主にダム・河川事業を担当し、日本で唯一ダムを3つ造るなど、日本各地の地形を熟知している地形のプロフェッショナル。2002年に国土交通省を退官し、現在は首都大東京客員教授、東北大学非常勤講師及び日本水フォーラム事務局長を務める。社会資本整備の論客として活躍する一方、地形・気象・下部構造(インフラ)の視点から日本と世界の文明を論じ、その新しさと説得力で注目を集める。

首都大学東京客員教授及び
日本水フォーラム事務局長
竹村公太郎

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第1回「導入:地形で生きる日本人〜過去から未来へ」

 

戦国大名が憧れた上町台地〜「毛利、長宗我部、島津」西国大名を一点で制覇する沼地 

桓武天皇 vs 淀川の三大支流〜桂川、宇治川、木津川が襲った2度の遷都の悪夢 

坂上田村麻呂と赤髪の士〜清水寺の絵が語る、凶暴民族を成敗する征夷大将軍の真の姿

歴史学者が絶対に語らない比叡山延暦寺焼き討ちの真の理由〜新幹線と戦慄する織田信長 

国立極地研究所が発見したオンザロックと縄文海進〜地球温暖化とCO2は無関係か?

湿地帯に文明を作った唯一の国〜広重が描いたタンチョウヅルと江戸の凄さ

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24800円(税別)

  • 竹村公太郎本人の講義
  • 合計:約240分
  • 安心の30日間返金保証
  • ビデオはダウンロード可能

歴史というのは、ただ文献から読み解くだけでなく、本来もっと実証的に検証していく必要がある学問です。

 これまで、竹村先生ほど地形に精通しながら、日本の歴史を検証したことのある人は一人もいませんでした。しかし、よく考えてみれば、人間の生活が地形や気象に左右されるのは当然の話です。水のないところで農業は発展しませんし、ぬかるんだ場所で車は発達しません。土地が持つ特性は、歴史を紐解く上で重要なファクターになります。まさに土木技術や測量など、様々な技術が発展したことで可能になった、新しい歴史学と言えます。

 この講座で伝えていることは、どれも聞いたことない話ばかりで驚きの連続となるでしょう。それは、竹村先生がこれまでの歴史学者が使ったことのない手法を初めて歴史解釈に適用したからです。講義では歴史を振り返る際、必ず最初に当時の地形を考えます。そのため今の視点からは見えてこない、当時の人々の頭の中を覗くことができます。

 この手法を使うことで織田信長や徳川家康の考えていたこともよくわかり、それと同時に今の日本の発展が彼らの命がけのチャレンジの上に形成されていることを知ることができます。

 

当時の日本人の頭の中を覗ける

三橋さんは以前、自身のメルマガで竹村先生について以下のように評価しています。

 

「歴史は人物ではなく、環境で動いてきた」 −三橋貴明

竹村先生は、元・国土交通省の官僚ですが、「地形」から歴史を紐解くという独自の切り口が非常に斬新、かつ面白く、三橋は以前からファンでした。

 (中略)

 歴史学者は、歴史を「人間」を中心に語ります。人間の言動、コミュニケーション、対立が歴史を動かすと「見る」のです。

 無論、歴史家のソースが歴史書である以上、そうならざるを得ないのは分かります。

 とはいえ、人間はそれ以上に「環境」に左右される生き物なのです。日本国民は「デフレ」という環境の下で、成長する意欲、消費・投資を拡大する魂を失ってしまいました。この「歴史」は、あくまで環境がもたらしたものです。

 あるいは、現在の日本の雇用が改善しているのは、少子高齢化による生産年齢人口比率の低下によるものです。人口構造の変化という環境には、誰も抗うことができません。わが国の人手不足は、100%の確率で深刻化します(それで、いいのですが)。

※『「新」経世済民新聞メルマガ』より抜粋

歴史は人によって動いてきたのではない、「環境」で動いてきたのだと三橋さんは言います。 「経済」という「環境」で世の中の動きを紐解く三橋さんだからこそ、竹村先生の「地形」という観点に共感されているのではないでしょうか?

このような歴史講座を売ると、少なからずの方から「商売なのか」と言われる事があります。答えはもちろん商売です。と言うよりもあえて「ビジネスにしています」なぜか?理由は簡単です。どのような事も慈善活動では社会に大きなインパクトを与える事はできないからです。いま社会を動かしているのは明らかに経済であり、つまり主体は商売、ビジネスです。

 「慈善活動では何も変わりません」

 ビジネスにする事によって優秀な人材を集めることができ、さまざまな広告をして世の中に一気に広 げることができるとわれわれは信じています。そしてそこで生まれた利益をより事業の拡大に投資できます。例えば講座を無料で提供することもできると思いますが、そのようなものは一過性であっと言う間に忘れ去られるでしょう。それに、竹村先生の長年の研究に対して失礼であると思います。ビジネスにする事によって、竹村先生の活動を今後も支え持続的にこういった知識の啓蒙活動を続けることができます。それがわれわれの信念です。

 

なぜ地勢歴史講座を売るのか?

竹村先生は、これまで、河川事業や公共事業の専門家や大学教授を相手に講義を行ったことはありますが、一般向けに講義を行ったことはほとんどありません。ここだけでしか聞けない竹村先生の歴史講座の価格は24,800円(税別)です。

オンライン講座なので、スグに全てダウンロードできますし、iPadやiPhoneなどで通勤中に見る事もできます。いつでも、どこでも、自分の都合の良い時間に何度でも見ることができます。

 

気になる価格は、、、

30日間返金保証

また、30日間の返金保証期間がついていますので、もしあなたの期待と違ったという場合は、お申し込みから30日間なら、たとえ全講義を見終わった後でも、電話一本、メール一本でキャンセルする事ができます。なので安心して試してもらうことができます。

 

今、一流の人ほど歴史を学んでいるといいます。彼らは、過去の出来事が現在までつながっていること、歴史の知識を今に活かせることを知っているからです。

 こんな逸話があります。織田信長はそれまでに日本人の統一された価値観である“土地至上主義”を改めることで不景気からの脱却を成し遂げました。それまでの価値観とは、

 「土地を大事にする気持ちは鎌倉時代から貫かれてきた。人びとにとって一番大事なのは土地である。したがって一坪の土地でも大事にしたい。一坪の土地でも奪おうとする者とは命懸けで戦う。」

 というもの。これが、「一所懸命の思想」です。一所というのは土地のことであり、懸命というのはその土地に命を懸けるということを表しています。

 信長は、「これ(一所懸命の価値観)をそのままにしておくと、狭い国土の日本では限界が来る」と考えました。そのためには、「日本人の価値観の大変革」が必要です。

 では、かれは土地の代わりに何を持ってきたのか。それは「文化」です。どういうことか?信長は国民生活に必要な「衣・食・住」の各面に、文化性を持たせました。「住」でいえば、家の建築方法が変わり、設計・材木の吟味・雅趣の付与・調度品の選定などが、いままでとガラリと変わりました。「食」は特権階級の高級料理が、今でいうファミリーレストランで庶民も食べられるようになりました。「衣」はデザイン・染色・織り方などが文化化しました。

 このように「衣・食・住」のあらゆる面に文化的な付加価値を付けて、それを経済成長のエンジンにしたのです。それによって、いまでいえば、「雇用の創出 ・国民の新たなニーズ(需要)の発生・拡大 ・国民の消費増大」をもたらしたのです。

 この逸話はまさに現代にも活かせるアイデアではないでしょうか?確かに歴史を知ったからと言ってすぐに何かできるようになるとか、何か得するということはないかもしれません。ですが、歴史の知識は必ずあなたの血となり骨となります。歴史観とは「人生観」です。ぜひ地形で紐解かれる真実の歴史を知ってあなたの人生をより豊かにしてください。

 

知識は力なり

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そして今なら特典として、「GHQが消した日本の英雄 - 乃木稀典」をお楽しみ頂けます。通常は非売品ですので、ご購入して頂くことはできません。しかし、今だけ特別に、歴史講座「幕末・明治維新・日清日露戦争」をご購入頂いた方に差し上げます。合計1時間43分の動画となっており、その気になる内容は...

 

今だけの特典付き

講義1 「近代日本の夜明けと乃木希典」

講義2 「西郷隆盛 vs. 乃木稀典」

講義3 「放蕩・ドイツ留学・日清戦争」

講義4 「日露戦争」

講義5 「武士道・水師営・学習院」

講義6 「自刃の真相」

講義7 「乃木将軍の世界的名声」

講義8 「乃木夫妻の殉死」

郭内にあった吉良邸のすぐ近くには北町奉行所がある。北町奉行は、司法、行政、裁判所、検察、警察、刑務所、消防などをつかさどる強力な武装機構であった。

さらに吉良邸の呉服橋門から八丁堀にかけては町奉行の与力、同心の住居屋敷が展開。その数は幕末には約7000人余りと言われ、治安警備関係者の根城となっていた。

赤穂浪士がいくら事前に準備しても、江戸城郭内の吉良邸への討ち入りなど決してできない。それは幕府警備機構の面目にかけて許されない。

 そんなとき、江戸から信じられないニュースが舞い込んだ。なんと吉良邸が隅田川を越えた倉庫街の本所へ“偶然”移転したというのである。倉庫街はいつの時代も薄暗くて人目がない。赤穂浪士にとってまさに絶好のタイミングであった。

 1703年7月、浅野内匠頭の切腹から耐え忍ぶこと1年半。ついに大石内蔵助は京都の円山会議で吉良討ち入りを宣した。その後、9月から10月にかけ47名の浪士たちは三々五々、江戸に潜入。

 そして1703年12月14日未明、赤穂浪士たちは吉良邸に討ち入り、ついに吉良上野介の首を取った・・・
世界中の人々は川の水を巡って争いを続けてきました。誰かが川から取水すれば、他の者の水量は確実に減ります。ある地区を洪水が襲えば、それ以外の地域は洪水から免れます。これは極めて単純な原則です。単純な原則だからこそ、世界中の川でこの原則は貫かれてきました。

 川筋では必ず優劣関係が形成されていきます。最も一般的で根強い優劣は、その川に先に住み着いたものの優先権でした。後から入り込んできた者は必ず劣位になります。優位の者は川の水を優先的に使い、洪水を受けないように対策を打つ。劣位の者は、取水したり治水工事をしたりするにも、優位者の了解がなければできない。優位な者はさらに豊かになり格差は広がっていく。この優劣関係は何十年間、何百年間も覆ることはありません。

矢作川を巡る争い

その優劣関係がこの矢作川でも厳然と存在していました。何百年間もの長い間、吉良家は矢作川の圧倒的な優位者だったのです。当然、吉良領地の直上流部で甘んじていた劣位者は吉良家を疎ましく、邪魔な存在だと思っていました。

 ・・・実は彼らの一族こそが、忠臣蔵の黒幕の正体です。劣位者として虐げられてきた彼らには、吉良家を潰したいと思う十分な動機がありました・・・
しかし、吉良家はそう簡単に潰せません。徳川幕府から「筆頭の高家」という特別な職を与えられており、屋敷は江戸城郭の中にありました。しかも吉良家は、征夷大将軍の任命に必要な、朝廷の許可を得るための大事な仲介役を務めるほどの権威でした。まさに隙のない吉良家・・・。
出典:矢作古川と矢作川「吉良の歴史」吉良町 
ところが1701年、江戸市中に衝撃が走りました。殿中、松の廊下で浅野内匠頭が吉良上野介に切りつけ負傷させたのです。高家に対して刃傷沙汰をした浅野家はお家取り潰し、浅野内匠頭は切腹という裁定が下されました。しかし、その後浅野家の家臣たち、赤穂浪士に不穏な動きがあるというニュースがもたらされました。

 これは吉良家を潰したい、かの一族にとっては千載一遇のチャンスでした。件の黒幕はこの期を捉え、赤穂浪士を手助けして利用することにしたのです・・・。

 彼らが仕組んだこと。それは、、、吉良邸の本所への移転でした。「筆頭の高家」とされている吉良邸移転を可能にするほどの権力者、、、そう、その正体こそが「徳川幕府」だったのです。

「忠臣蔵」の黒幕の正体

徳川家こそ、愛知県・矢作川の劣位者だったのです。優位者である吉良家が川を利用して、自分たちの農地だけをどんどん開拓して豊かになっていく中、、、徳川家は数百年もの間じっと指をくわえて見つめるしかありませんでした。

 ところが、途方も無いことがこの矢作川で起こってしまいました。矢作川の劣位者だった徳川家康が天下を取ってしまったのです。これで吉良家を潰せる、長年の雪辱を晴らせる。徳川家一族はそう思ったことでしょう。しかし、家康はそうしませんでした。

 圧倒的な強者になった家康は吉良家を完全に潰したくてもできませんでした。逆に家康は吉良家を「筆頭の高家」として特別な職で処遇しています。一体どういうことなのでしょうか・・・?

 1600年、関ヶ原の戦いで徳川家康は天下を取りました。ただしいくら武力で天下を抑えても朝廷の意がなければ征夷大将軍に任命されません。朝廷の意をどうやって引き出していくのか。その朝廷の意を引き出すことが家康にとって最重要事項となりました。・・・その朝廷に何百年も仕え、近しくしていた武家一族がいました。それこそが吉良家です。その吉良家が朝廷と徳川家の仲介をし、家康の望みを実現していくことになったのです。

 他の大名にとっては、吉良家は単なる名家で敬意を払っていればいいだけの存在でした。ところが、徳川家にとって吉良家は単に名家なだけではありませんでした。徳川家は、徳川家存続のために吉良家を必要としてしまったのです。江戸城内で、吉良家は朝廷の権威に寄り添う優位者となったのでした。

圧倒的な権力者になった徳川家は、吉良家に屈折した感情を抱くことになりました。矢作川での長年の劣等意識がそのまま江戸城に持ち込まれたのです。しかも、将軍が変わるたびに毎回吉良家が朝廷との仲介をしていました。権威の吉良家と権力の徳川家との厄介で複雑な関係は、2代将軍の秀忠、3代家光、4代家綱、5代綱吉と100年間も続いていきました。

 そんなとき、赤穂浪士に不穏な動きがあるというニュースが徳川幕府にもたらされました。

 「徳川幕府、いや徳川家にとって千載一遇のチャンスが巡ってきた。これを最大限に利用してあの吉良家を抹殺する。浅野が悪いのか、吉良が悪いのかはどうでも良い。ともかくあの矢作川で舐めてきた辛酸、江戸城内での100年間の屈辱を晴らす。もう二度と徳川家より上に立つ武家の存在を許さない。」

 吉良を討つという赤穂浪士への見えざる支援は当然の方針となりました。吉良邸の移転です。これまで手の出せなかった吉良家を白昼堂々と潰す口実を徳川幕府は手に入れたのでした・・・

矢作川の屈辱と江戸時代屈折の100年

まだあなたは、江戸幕府が赤穂浪士の討ち入りを手助けしたという事実は信じられないかもしれません。ですが興味深い話があります。

 赤穂浪士四十七士は吉良家討ち入りを果たした後、幕府により切腹を命ぜられ、遺体は東京・高輪の泉岳寺に葬られました。現在でも赤穂浪士の墓があり、祀られています。・・・その泉岳寺こそ、徳川家康が創立した江戸で唯一の寺なのです。

 「四十七士の討ち入りは、幕府の威信を損ない、天下の平穏を乱した。そのため、彼らは取り調べの後、全員切腹させられ、その日のうちに埋葬された。当時、四十七士は間違いなく重大な犯罪者たちであった。」

 世間の通説ではそのようになっています。しかし、その犯罪者が埋葬された寺こそが、家康が創立した寺だったのです。これは徳川幕府の積極的な同意があった何よりの証拠です。でなければわざわざ狭い泉岳寺に四十七士がまとまって埋葬されることなど考えられないでしょう・・・

赤穂浪士の遺体が眠る泉岳寺の真実

長い間、解明できなかった忠臣蔵の謎を解き明かし、黒幕を明らかにしたのは“地形”です。この忠臣蔵の話からわかるように、地形は日本の歴史に大きな影響を与えています。工業が今ほど発展していなかった時代の地形の影響力は絶大です。たとえば、、、

 ・京都・大阪 vs 江戸:なぜ、徳川家康は、京都・大阪を捨て、突如江戸に行ったのか?
 (実はこれは家康にとって命がけの挑戦でした。ですが、これが264年以上も続く江戸時代の土台になりました)
 ・歴史学者が絶対に語らない信長・比叡山延暦寺焼き討ちの真の理由
 ・日本人を虐殺してきた最大の敵・ヤマタノオロチを制覇した江戸人の根性

 などなど、、、地形を手掛かりにすれば「なぜこのようなことが起こったのか」「次はどんなことが起こりうるか」ということが時系列の流れの中で理解できるようになります。

 これは当然現代にも通ずる考え方です。私たちは例外なく、住む場所・住む地域、その周りの地理的な環境に、とてつもなく影響を受けています…

 日本が外国に一度も侵略されなかった理由もここにあります。もともと日本は外国人が歯が立たないほど手強い地形でした。だからこそ逆に手強い地形を攻略した日本人が、世界各国を差し置いて発展してきたという歴史があります。

 地形を知ることで、日本発展の理由を知ることができます。そしてそれは日本が今後、諸外国とどう立ち向かっていけば良いかという視点も与えてくれます。

 小さいにもかかわらず、外国に一度も占領されなかった日本の土台を築いた人たち。そんな日本人の叡智や、今の日本を築いたルーツを伝えていきたいと思っています。だから、私たちは自分でこの講座を販売することにしました。

「地形」は物事の見方を大きく変える

信長の本願寺11年戦争〜上町台地、淀川、大和川が解く大阪の鉄壁の地形 

第2回「国土の誕生:湿地を征服した日本人〜富を求め」

 

徳川家康の「流域」封建制〜江戸時代が平和になり得た革命の新ルール 

日本人の湿地攻略〜アジア諸国が諦めた中、日本人だけが勝てたワケ 

ヤマタノオロチを制覇した江戸人の根性〜日本の99.9%の堤防は江戸時代にできたもの?

外国侵略が一度もなかった日本人の最大の敵〜なぜ日本人の共同体意識は強いのか? 

戦国大名、武田信玄が生んだ日本のシンボル〜祭り・神社・凧を使った治水戦略の秘密

江戸を日本一にした家康の大工事〜利根川の本流は銚子?東京湾?

「戦国、麻雀、ゼロサムゲーム」〜秀吉による太閤検地が規定した日本の富 

番組スタッフを困らせた竹村公太郎の一言〜2015年鬼怒川決壊の真犯人は家康だった?

ペットボトルと小貝川〜千葉、茨城の下流の住民が400年間苦しみ続けるワケ

第3回「日本の首都・東京の誕生:江戸はいかにして造られたか?」

 

関東に幽閉された家康の夢〜6000年前の縄文海進が解き明かす当時の江戸の風景 

江戸城とサン・マロ湾の修道院〜塩水、汽水域、不毛の地…国土プランナー家康の復讐劇 

大化の改新から続く地形の利〜「国府台」を「こうのだい」と読むワケとは?

徳川家康とヒトラー〜400年前に造り上げた軍事的アウトバーンの姿 

日本人が知るべき関東平野の水路制圧戦略〜佃島の魚屋さんが徳川家直参の海軍?

昭和の田植えは胸まで浸かった?〜洪水、銚子、乾田化…日本一の穀倉地帯・関東平野の秘密

室町・戦国の250年で禿山と化した関西の山々〜野洲、山科、比叡山が木々を失った理由 

4万の軍勢と不足する江戸の飲み水〜今も残る地名が明かす江戸庶民の生命維持戦略

「浅草は江戸の安全の要である」〜なぜ隅田堤は桜の名所となったか?

幕府の重鎮 vs 明暦の大火災〜世界でも珍しい、名君・保科正之の江戸城不再建宣言

第4回「江戸の謎:忠臣蔵とは何だったのか?」

 

「紀伊・尾張・井伊」新宿通りを見張る徳川御三家〜エリートが麹町警察署に集結するワケ 

日本一の警備を潜り抜けた16人の赤穂浪士〜なぜ江戸の密偵は見抜けなかったのか? 

赤穂四十七士と江戸幕府の癒着〜忠臣蔵のシナリオは全て幕府の画策だった?

赤穂浪士の吉良家大虐殺〜鎖帷子、鉄の面、長い槍…北斎の絵が語るテロの裏側 

「家康、泉岳寺、首洗い井戸」四十七士の血の物語〜「忠臣蔵」は殿様への忠誠心か?裏切りか?

吉良町吉良家 vs 岡崎町徳川家〜愛知・矢作川の確執が生んだ忠臣蔵のクライマックス

忠臣蔵の謎を紐解く第一の鍵:半蔵門〜なぜ江戸時代の古地図は城を逆さに描いたか? 

既に講座をご覧になった方からは、こんな感想を頂戴しています。

 

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